子どもには些細なことでもじっくり考える時間が必要なのかもしれません。
虫とりや標本作成をしていると、最近そんなことをよく思います。
すぐに答えが出る遊びも楽しいけれど、
少し手が止まったり、ぼんやり見たり、待ったりする時間の中で育つものもある気がするんですよね。
この記事では、虫とりや標本作成を通して感じた、子どもにとっての「暇」や「余白」の価値について整理します。
「暇」は、悪い時間じゃない
私は最近、子どもにとっての暇な時間は、かなり大事なのではないかと思っています。
「暇」という言葉には、少し悪い印象があります。
何もしていない、退屈している、時間を持て余している。
そんなふうに見えることもあります。
でも、何もしていないように見える時間でも、頭の中ではいろいろなことが整理されています。
さっき見た虫のことうまく捕まえられなかった理由次に行ったらどうするか悔しさを乗り越える時間
子どもなりに、見たことや感じたことをゆっくりつなげている時間がある気がします。
大人でも同じですよね。
自転車に乗っているとき、標本を作っているとき、単純作業をしているときに、仕事のことや文章の構成をぼんやり考えていることがあります。
机に向かって考えているときより、ふっとアイデアが出ることが多いです。
子どもに必要なのは、何かを詰め込む時間だけではありません。 頭の中で体験がつながっていく余白の時間 も必要なのだと思います。
暇は放置ではなく、考える余白
ここで大事なのは、暇を与えることと、子どもを放っておくことは同じではないという点です。
子どもに余白を残すというのは、親が無関心になることではありません。
むしろ、子どもが考える時間を邪魔しすぎない、という感覚に近いです。
子どもが虫かごをじっと見ているとき
親から見ると、ただ眺めているだけに見えるかもしれません。
でも、その中では、虫の動き、さっきの出来事、次に触ってみたい気持ち、少し怖い気持ちなどが混ざっているかもしれません。
子どもが虫を捕まえられずにじっと止まっているとき
親からしたら、急かして次の虫を探してあげたほうがいいと思うかもしれません。
でも、その時間で、どうして失敗したのか、どうしたら取れるのか、悔しい気持ちと戦ってたりという気持ちが混ざっているかもしれません。
だから、大人がすぐに話しかけすぎたり、次の予定へ急がせすぎたりすると、その途中の考えが途切れてしまうことがあります。
| 避けたい関わり | すぐに答えを出す、すぐ次の遊びを提案する、退屈しているからと刺激を足し続ける |
|---|---|
| 残したい余白 | 見ている時間、迷っている時間、思い出している時間、もう一度試すまでの間 |
| 親にできること | 急かさず待つ、短く声をかける、子どもの反応を見てから次を提案する |
虫とりは、すぐ答えが出ない遊びでもある
そこが私は、虫とりのすごくいいところだと思っています。
虫は、思った通りに動きません。どこへ行ったのかわからなくなったり、取れそうで取れなかったり、今見たものが何だったのかすぐにはわからなかったりします。
だから、虫とりには「保留」が多いんですよね。
すぐ正解が出ない あとで調べる もう一回見に行く 次の方法を考える
そういう時間が自然に生まれます。
何でもその場ですぐ解決しないからこそ、あとから考える時間が残る。
虫とりには、そういう余白があります。
標本作成は、「待つ」と「考える」を自然に作る
標本作成をしていると、自分のペースだけでは進められない場面がよくあります。
リアルな話を書くと、
いますぐに標本を作りたくても、絶食して置いておいた方がいい時もある。
しめる(殺す)のに時間がかかることもある。針で固定した後も乾燥まで待たないといけない。
気持ちは前に進みたいのに、手順の都合で立ち止まる。
これがリアルな話です。
でも、その止まった時間の中で、何をして過ごそうか、図鑑を見ようか、他のことをしようか、と考えるんですよね。
待たされることが、考える時間を作ってくれる。これも標本作成の面白さだと思います。
些細なことを、じっくり考える経験が大事
大人から見れば小さなことでも、子どもにとっては十分に大きなテーマなんですよね。
なんでこの虫はここにいたんだろう。
どうしてこの触角はこんな形なんだろう。
昨日見た虫と今日の虫は何が違うんだろう。
そういう疑問は、すぐに役立つものではないかもしれません。
でも、そういう“些細なことをじっくり考える”経験そのものが大事なのだと思います。
大きな問いを考える前に、小さな問いを持つ力が育っていく。
「なんで?」を急いで消さないことが、子どもの考える力の土台になる気がします。
- この虫は、前に見た虫と何が違う?
- どうして葉っぱの裏にいたんだろう?
- 昨日はいたのに、今日はどうしていないんだろう?
- この触角や羽は、何のためにあるんだろう?
親が急いで答えを出しすぎないことも大事
子どもの問いに対して、すぐ正解を渡さないことにも意味があるのかもしれません。
大人はつい、「それはこういう虫だよ」「これはこうだからだよ」とすぐ答えたくなります。
もちろん、教えることは大切です。
でも、時には 「なんでだろうね」、「どう思う?」、「あとで調べてみようか」 と、少し置いておくのも大事なのかなと思います。
その間に、子どもの頭の中では、自分なりの仮説が育つかもしれません。
答えを知ることと、答えにたどり着こうとすることは別です。
後者にも、かなり価値があるんですよね。
- 「どうしてここにいたんだろうね」
- 「前に見た虫と似てるかな」
- 「次に来たら、またいるかな」
- 「おうちで図鑑を見てみようか」
大人にとっても、「考える時間」は必要なんだと思う
この話は子どもだけじゃなくて、大人にもそのまま当てはまる気がしています。
私は昔から、自転車に乗っているときや、何か単純作業をしているときに、いろいろ考えごとをすることが多かったです。
高校生の頃も、通学中にふと”ゴールドバッハの予想”を思いついたりしていました。
何かに追われているときより、少し余白があるときのほうが、頭の中って案外よく動くんですよね。
だから、子どもにとっても、そういう余白は必要なのではないかと思います。
虫とりは、考えごとの種をたくさんくれる
だから私は、虫とりは「考える材料」を増やしてくれる遊びだと思っています。
取れた、取れなかっただけではありません。
どこにいた何にとまっていたどんな色だったどう逃げたなんでここにいたんだろうまた来たら見られるかな
その場で全部解決しなくてもいいんです。
むしろ、少し持ち帰って、あとで思い出したり、図鑑を見たり、親子で話したりする。
その余白があるから、体験が深くなる気がします。
あとから考える時間が残るから、体験が一回で終わりません。
今日からできる、余白を残す関わり方
難しいことをしなくても、少しだけ待つ・少しだけ問いを残すだけで、外遊びの深さは変わると思います。
子どもが虫や草を見ているときは、少しだけ待ちます。
何もしていないように見えても、見ている時間そのものに意味があります。
「なんでだろうね」、「どこに行ったと思う?」と返すだけで、考える時間が残ります。
その場で全部調べなくても大丈夫です。写真を撮る、名前をあとで調べる、次の散歩でまた見る。これだけでも体験が続きます。
虫が取れなかった日は失敗ではありません。どこを探したか、なぜ見つからなかったかを考える材料になります。
子どもを退屈させないように何かを足し続けるより、子どもが自分で考える時間を少し残す。
これくらいの距離感が、虫とりや自然観察には合っている気がします。
まとめ|「暇」は、考える力の土台になるのかもしれない
じっくり考える時間や、すぐ答えが出ない時間は、子どもの思考を育てるうえで大切な土台 なのだと思います。
虫とりや標本作成をしていると、「今すぐ答えを出さない時間」がたくさんあります。見つけたものをあとで調べる。気になったことを少し持ち帰る。待ちながら考える。そういう時間って、実はかなり豊かなんですよね。
- 暇な時間は、悪い時間ではない
- 虫とりには、すぐ答えが出ない問いが多い
- 標本作成では、待つ時間が自然に生まれる
- 些細なことをじっくり考える経験が大事
- 親が答えを急ぎすぎないことにも意味がある
- 取れなかった日も、考える材料になる
- 虫とりは、考えごとの種をたくさんくれる
子どもに何をさせるか、何を教えるかはもちろん大事です。でも同じくらい、考える時間を残しておくことも大事なのかもしれません。
虫とりって、その時間を自然にくれる遊びなんだなと、最近よく思います。



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