わが家で昆虫標本を作り始めたのは、ちーくんが1歳8〜9か月頃でした。最初は、親に手を添えてもらいながら蝶へ触れるところから。それが2歳11か月になった今では、自分で虫を探し、採集道具を準備し、標本作業にも参加したがるようになりました。標本箱に残っていたのは、虫の姿だけではなかったのです。
この記事で一番伝えたいこと:
昆虫標本は、きれいな虫を並べるだけのものではありません。採集した日の発見を残し、あとから比べ、子どもの関わり方の変化まで見返せる「親子の自然観察記録」になります。
この記事は、わが家の実体験を中心に書いています。発達や標本の価値について一般化して述べる箇所には、本文中から参考文献へ移動できるリンクを付けています。
虫取りを「捕まえて終わり」にしない
虫取りは、捕まえた瞬間だけでも十分に楽しいものです。でも、あとから見返せる形に残すと、一度の体験を何度も観察できるようになります。
野外で生きている虫を見ているとき、幼い子どもが捉えているのは、「動いた」「飛んだ」「落ちた」「捕まえた」といった変化が中心かもしれません。
ところが、家に持ち帰って標本として並べてみると、見え方が変わります。
- 丸い虫と細長い虫がいる
- 同じような色でも模様が違う
- 脚や触角の形が種類によって違う
- 前に見つけた虫と似ていても、少し違う
- 図鑑の写真と何度でも見比べられる
生きている虫には、その場でしか見られない動きがあります。一方、標本には、動かないからこそ細部をじっくり見られる良さがあります。自然史標本は、形態や採集情報を保存し、あとから別の視点で再検討できる記録でもあります[4]。
「その場の興奮」を、「あとから比べて考えられる体験」に変えること。これが、親子で標本を作る大きな意味だと感じています。
1歳から2歳11か月まで、関わり方はどう変わった?
最初から標本を作れたわけではありません。年齢とともに、「見る」から「自分で関わる」へ少しずつ変わっていきました。
始めた頃は、標本を作る意味や工程まで理解していたわけではありません。子どもにとっては、家にいつの間にか虫が並んでいる、という程度だったと思います。
それでも標本箱を一緒に開き、「これはちーくんが捕まえた虫だね」「公園で見つけたタマムシだね。木から飛んだとき、パパも初めて捕れてうれしかったよ」と話しました。標本は、この時期から採集した日の記憶を語り直すきっかけになっていました。
図鑑と見比べることもありました。標本と同じ虫を見つけると図鑑を持ってきて、「一緒!」と照らし合わせます。まだ自分で作る段階ではなくても、実物と写真を対応させるところから関わりは始まっていました。

散歩中に見つけたゴマダラチョウを標本にすると、「これ、ちーくんが見つけたやつ」と話しました。標本箱の虫が、自分の過去の体験と結びつき始めたのです。
標本を見返すたびに、捕まえた場所やその日の出来事を話せます。作って終わりではなく、保存された実物が記憶を呼び戻す手がかりになっていきました。

それまでは針そのものに触りたがっていましたが、2歳10か月頃から「標本作ろう!」と言うようになりました。虫に針を刺し、形を整えて残すという一連の行為を、自分なりに理解し始めたのだと思います。
最初は親が虫を支え、手を添えて作業しました。その後、セミの抜け殻など扱いやすいものから、自分でも固定針を刺したがるようになりました。「どの向きにする?」と聞くと、「横向きがいい」「これは裏返す」と答えます。形が不格好でも、「このまま!」と残すこともあれば、「パパがして」と仕上げを頼むこともあります。
同じ頃、セミの翅を「黒い羽」「茶色」「透明」と分け、脚や触角の違いにも目を向けるようになりました。比較から共通点や違いを捉えることは、幼児期の関係的な学びにつながると考えられています[1]。
出かける前に「あ、これ持ってく。蝶々入れるやつ」と言い、三角ケースを自分で荷物へ入れるようになりました。捕まえるだけでなく、その後に持ち帰り、観察し、標本にするところまでが一つの流れとしてつながってきたようです。
標本作業も、見るだけでは足りません。自分で虫へ触れ、向きを決め、できる工程には参加したがります。1歳の頃には家に「いつの間にかあった標本」が、2歳11か月では自分から準備して関わる活動へ変わりました。


標本作成には「待つ・順番・よく見る」がある
標本作成をすれば、特定の能力が自動的に伸びるわけではありません。ただ、作業の中には、幼児期に経験してほしい力を自然に使う場面がいくつもあります。
「待つ力が育つ」と言い切るより、待つ理由を経験できる
標本作成では、やる気があるときでも一度作業を止めなければならないことがあります。 無理に進めれば、硬い脚が折れたり、乾燥前の翅がずれたりします。
幼児がすぐに計画的に作業できるわけではありません。それでも、大人が「今日はここまで。柔らかくなったら続きをしよう」「乾くまで待とう」と言葉にすることで、完成までには順番と時間が必要だと経験できます。
作業をするから、見る場所が変わる
触角を整えようとすると、その形を見ます。脚を伸ばそうとすると、関節の位置を見ます。翅を広げようとすると、左右の模様や翅の重なりを見ます。
そこから、「同じ蛾なのに触角が違う」「このカミキリムシの触角は、どうしてぼこぼこしているの?」といった疑問が生まれます。知識を先に教えるのではなく、必要があるから自分で細部を見るところが、標本作成の面白さです。
ツマグロヒョウモンの口吻から、「同じ形」を見つけた
捕まえたツマグロヒョウモンを標本として残したときのことです。蝶の翅は傷みやすいため、パパとしてはあまり触ってほしくありませんでした。それでも、この日は観察を優先し、すぐそばで見守りました。ちーくんは自分で翅を開き、表と裏を返しながら体を見ていました。
その中で、とくに面白かったのが口吻でした。
蝶の口吻は、使わないときには渦巻き状に丸まっています。そこで、「これでお花の蜜を吸っているんだよ。ストローみたいなんだよ」と説明しました。
そのときの反応は、「へー」と短いものでした。しかし、観察はそこで終わっていませんでした。
後日、端がくるくると巻いた紙を見つけると、ちーくんはそれを見て、
と言いました。蝶の口吻と紙は、材質も用途もまったく違います。それでも、「細長いものが渦巻き状に丸まっている」という形の共通点を取り出し、別のもの同士を結びつけたのだと思います。
この一言だけで、標本観察が何らかの能力を伸ばしたと証明することはできません。ただ、幼児は少数の経験から関係を取り出し、別の場面へ用いることがあると報告されています[1]。また、子どもの類推的な見方は、周囲の大人が「同じ」「違う」「ストローみたい」と言葉にすることで支えられる可能性があります[2]。
そこで、その後は「ほかの虫の口はどうなっている?」と観察を広げました。カブトムシの口はブラシのように見え、セミの口は針のように見えます。さらに、カタツムリの殻、渦巻き、ソフトクリームなど、身の回りの「クルクル」へ話を広げられます。答えを覚えさせるのではなく、本人が見つけた形を起点に、比較する対象を増やしていく関わりです。


生きた蝶を追っているときは、飛び方や翅の色に目が向きます。 標本として残し、手に取って向きを変えられたからこそ、小さな口吻まで自分で見つけられました。 そして、その形の記憶が、後日の別の発見につながりました。
標本にするということは、虫の死と向き合うこと
標本の良さだけを語ることはできません。標本として残す体の前には、一匹の虫が生きていた時間と、その死があります。
わが家では、虫が死んだとき、ちーくんにこんなふうに話しています。
「いっぱい一緒に過ごしてくれて、ありがとうって思おうね」
「捨てずに標本にして、大事に残そうか。もう少し体から学ばせてもらおうね」
ちーくんがこの言葉をどこまで理解し、どう受け取っているのかは分かりません。死んだカブトムシを見て「もうゼリーは食べない」と分かる一方、「また動くかな」と話すこともあります。
死の理解には、「すべての生き物に起こること」「元には戻らないこと」「体の働きが止まること」など複数の側面があります。これらを一度に理解するのではなく、幼児期から時間をかけて獲得していくと考えられています[3]。そのため、2歳児の一つの発言だけから「死を理解した」「理解していない」と決めないようにしています。
それでも、死んだらすぐに見えないところへ捨てるのではなく、動かなくなったことを一緒に確かめ、過ごした時間を振り返り、その後の体をどう扱うかまで一緒に考えたいと思っています。
生きているときと、死んだあとでは、見えるものが違う
生きている虫からは、生きているからこそ分かることがあります。一方、死後には、動かなくなったからこそ見えることがあります。
標本にすると、こんな声かけができます。
「背中とお腹では、どちらが柔らかいかな?」
「関節は、どちら向きに曲がる?」
「翅は何枚あるかな?」
「この蝶の口は、ほかの虫と同じかな?」
生きている虫を手の中で動かしながらでは、幼児が細部を落ち着いて見るのは難しいものです。死後の体を標本として整えることで、脚の付け根、関節、翅の重なり、口の形まで、何度でも戻って観察できます。
ツマグロヒョウモンの口吻を見つけ、その形を後日の丸まった紙と結びつけられたのも、本物の体を手元に残し、自由に向きを変えて見られたからだと思います。
捕まえて持ち帰ったことも、死と無関係ではない
ショウリョウバッタの幼生を捕まえて持ち帰り、歩かせたり飛ばせたりして一緒に過ごしたこともあります。 けれど、少しずつ弱り、数日後には死んでしまいました。 セミも容器へ入れて観察し、外へ出して歩かせたり飛ばせたりしているうちに死んでしまいました。
虫にはそれぞれ寿命があります。ただ、野外から持ち帰ったこと、十分な餌を用意できなかったこと、何度も触ったことが、死を早めた可能性もあります。すべてを「寿命だった」と言い切ることはできません。
一方、2か月間ゼリーを与え、毎日一緒に過ごしたカブトムシのように、飼育した時間を経て死ぬ虫もいます。 死に至る経緯は同じではありません。
だからこそ、持ち帰る前に、飼えるのか、短時間の観察で元の場所へ返すのか、標本として残すのかを考える必要があります。持ち帰った虫が死んだときは、その事実をなかったことにせず、最後まで向き合います。
それでも、何も見ずに捨てるのではなく、体のつくりを観察し、採集日や場所を記録し、何年後も見返せる標本として残すことはできます。命を扱った以上、そこから得られる学びを無駄にしない。それが、わが家の標本作りに対する考え方です。
動物実験と同じではない。それでも、研究者として重なる感覚がある
私は研究で実験動物を扱うことがあります。家庭の昆虫採集・標本作りと、研究目的、審査、飼育管理のある動物実験は同じものではありません。ここを一緒に扱うつもりはありません。
それでも私自身の中では、命から情報を得る以上、必要以上に数を増やさず、一個体から得られる観察や記録をできるだけ生かす、という姿勢に重なる部分があります。
動物実験には、動物を使わない方法への置換、使用数の削減、苦痛の軽減を求める「3Rs」という原則があります[5]。家庭の虫取りにそのまま当てはめる制度ではありませんが、「本当に持ち帰る必要があるか」「必要以上の数ではないか」「生きたまま返せないか」を考える際の、自分自身の判断軸にはなっています。
- 目的なく、必要以上の数を捕まえない
- 生きたまま観察して返せるなら、その方法も選ぶ
- すでに死んだ個体や、飼育後に死んだ個体を生かす
- 命を扱った以上、よく見て、記録し、無駄にしない
- 標本として残し、あとから何度も学べるようにする
学びがあれば虫を死なせてもよい、という意味ではありません。まず不要な採集や死を減らす。そのうえで、すでに命を扱ったなら、死を見えないものにせず、感謝し、観察し、記録として残す。その順番を忘れないということです。
子どもが全部作らなくても、十分に意味がある
2歳児に標本作りのすべてを任せることはできません。大切なのは、年齢に合った工程へ継続して関わることだと思っています。
| 子どもが参加できること | 大人が担当すること |
|---|---|
| 虫を見つける、追いかける | 採集してよい場所・種類・数を判断する |
| 採集場所や、そのときの出来事を話す | 採集日や場所を記録する |
| 羽、脚、触角、模様を見る | 虫ピンを刺し、細かく展足・展翅する |
| 親と一緒に道具を持つ | 針や薬剤を管理する |
| 虫に触れていない固定針を、親と一緒に抜く | 乾燥状態を確認し、標本箱へ安全に移す |
| 完成した標本を見返す | 防虫・防湿を含めて長期保管する |
実際に標本を仕上げているのは、ほとんど大人です。それでも、ちーくんは見るだけではなく、虫を見つけ、道具を用意し、親と一緒に虫へ触れ、安全な工程では自分でも手を動かし、完成後にもう一度観察しています。標本全体を一人で完成させなくても、親子の体験としては十分です。
子どもが虫ピンを刺せたかどうかだけで、参加を判断する必要はありません。見つけるところから、残した標本を見返すところまでが、親子の標本作りです。

採集した虫は、一匹ずつ分けて持ち帰る
標本にする可能性がある虫は、虫かごにまとめるより、採集したときから個別にしておくと扱いやすくなります。
わが家では、小型の甲虫などは100円ショップの小さいチャック袋へ一匹ずつ入れています。多くの小型昆虫にはA9サイズ、大きめの虫にはA8サイズを使っています。
- 虫同士がぶつかって傷つくのを防ぎやすい
- 持ち帰る虫と逃がす虫を整理しやすい
- 採集時の状態を保ちやすい
- どこで採った虫か分からなくなるのを防ぎやすい
蝶やトンボは翅が傷みやすいため、三角紙へ入れます。ちーくんが自分から三角ケースを用意するようになったのも、採集後の扱いまで少しずつ理解してきた変化の一つです。
すべての虫を持ち帰る必要はありません。飼育するのか、標本として残すのか、十分に対応できる数かを考えて選びます。

虫を持ち帰ってから、標本箱へ入れるまで
虫の種類や状態によって方法は変わりますが、大まかな流れは共通しています。
1.採集情報を残す
いつ、どこで、誰が採ったのかを忘れないうちに残します。 採集した袋へ簡単にメモするのが一番いいんでしょうけど、私は面倒くさいので、その場でスマートフォンで写真を撮っています。
2.虫の状態に合わせて処理する
自然死した直後で体が柔らかければ、そのまま形を整えられることがあります。 すでに硬くなっている虫は、無理に脚や翅を動かさず、湿らせた密閉容器などで軟化させます。
標本を意識するなら酢酸エチルを用いた処理が便利です。その後の展足も楽になります。
3.展足・展翅して乾燥させる
甲虫は脚や触角を整え、蝶や蛾は展翅板で翅を広げます。 小さい虫ほど簡単とは限りません。脚が体の下へ入りやすく、一か所を直すと別の脚がずれることもあります。
4.固定針を外し、ラベルと一緒に保管する
十分に乾燥したら、形を固定していた針を外します。虫に刺さっていない安全な位置の針は、親が手を添えながら子どもに抜いてもらうこともあります。最後にラベルとともに標本箱へ収めます。

小さい虫ほど、きれいに整えるのは難しい
実際にやってみて驚いたのは、小さい虫は、小さいから簡単なのではないということでした。
小型の甲虫は脚が細く、体の下へ入り込みやすいため、左右の形を整えるだけでも根気がいります。「この脚を少し出したい」と触ると別の脚が戻り、そこを直すと今度は体がずれることもあります。
一匹に10分以上かかることもあり、2歳児が最後まで行うのは現実的ではありません。細かな作業は子どもが寝たあとにパパが行い、翌日に途中経過を一緒に見ることもあります。
小型昆虫の標本は、丁寧にすれば簡単にきれいになるのではなく、丁寧にやっても難しいものです。だからこそ、家庭では完成度だけを目的にしない方が続けやすいと感じました。

完璧でなくても、「そのときの虫」を残せる
家庭で子どもの発見を残す標本なら、最優先は見た目の完璧さより、あとから観察できることだと思っています。
脚が少し不自然だったり、触角が欠けていたり、翅が傷んでいたりする標本もあります。もちろん、できるだけ丁寧に扱うことは子どもにも伝えます。
それでも、幼い子どもが触れば虫は傷むことがありますし、大人が作ってもうまくいかないことがあります。家庭の標本では、その失敗まで含めて記録です。
- 模様や体の形が分かる
- 前に見た虫と比べられる
- 採集した日と場所が分かる
- 誰と見つけた虫か思い出せる
これが残っていれば、十分に観察の材料になります。子どもが見つけた姿、触ったことで少し傷んだ姿も含めて、その年齢での関わり方が残ります。
ラベルを付けると、「虫」から「記録」になる
標本は、形を整えて乾燥させただけでは完成ではありません。いつ・どこで・誰が見つけたかが残ることで、あとから確かめられる記録になります。
自然史コレクションが研究に利用できるのも、標本そのものと採集情報が結びついて保存されているからです[4]。家庭の標本でも、採集日と場所を残すだけで、「昔捕まえた虫」から、あとで比較できる観察記録へ変わります。
小さい虫は、図鑑を見ても種まで決められないことがあります。そんなときは無理に断定せず、「テントウムシの仲間」「ゴマダラチョウ?」など、分かる範囲で記載します。
専門的な標本ラベルには、採集情報をできるだけ正確に残します。一方、子どもの年齢、その日の出来事、発言などは、写真・ブログ・観察ノートへ残すと整理しやすくなります。
名前を確定できないことは失敗ではありません。「前に見た虫と似ているけれど違う?」「また探してみよう」という次の観察につながります。
安全管理は大人の役割
標本作成では針や薬剤を使います。幼児には、興味があっても自由に触らせない工程があります。
- 虫ピンや待ち針を使うときは、必ず大人がそばにいる
- 急に手を出す、ふざけるなど危険な様子があれば中断する
- 薬剤を使用する工程は、子どもがいない場所で大人だけが行う
- 観察や作業のあとは石けんと流水で手を洗う
- 完成前の標本や針は、子どもの手が届かない場所で乾燥させる
「何でも自分でやりたい」時期だからこそ、できる部分と、大人だけがする部分をはっきり分けています。安全に続けるためのルールも、標本作りの一部です。
見つける、興味を持つ、違いに気づくこと。針や薬剤を扱えることが、標本作りへの参加ではありません。
標本箱には、子どもの成長も並んでいく
標本箱を開くと、虫の種類だけでなく、その時々の親子の関わりまで思い出せます。
1歳の頃に拾ったセミの抜け殻、ショウリョウバッタ、自分で見つけたゴマダラチョウ、親子で採集した小型甲虫、羽化を観察したセミ。どれも、単なる虫のコレクションではありません。
「これはあの公園で見つけた」「この頃はまだ虫を自分で捕まえられなかった」「この蝶から三角紙を使うようになった」と、標本を通して当時の姿を思い出せます。
最初は親に手を添えてもらいながら蝶へ触れていた子が、自分で虫を探し、採集道具を荷物へ入れ、自分から標本作業へ手を伸ばすようになりました。

参考文献
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- Walker CM, Gopnik A. Toddlers infer higher-order relational principles in causal learning. Psychological Science. 2014;25(1):161–169. PubMed|本文へ戻る:年齢別の変化・口吻の観察
- Christie S, Gentner D. Language helps children succeed on a classic analogy task. Cognitive Science. 2014;38(2):383–397. PubMed|本文へ戻る
- Speece MW, Brent SB. Children’s understanding of death: a review of three components of a death concept. Child Development. 1984;55(5):1671–1686. PubMed|本文へ戻る
- Suarez AV, Tsutsui ND. The value of museum collections for research and society. BioScience. 2004;54(1):66–74. 掲載ページ|本文へ戻る:標本にする意味・ラベルの価値
- National Centre for the Replacement, Refinement and Reduction of Animals in Research. The 3Rs. 公式資料|本文へ戻る
参考文献は、わが家で起きた個別の出来事を「証明」するものではありません。本文中で述べた一般的な発達・標本・研究倫理の背景を確認するために掲載しています。
まとめ|標本に残ったのは、虫だけではなかった
昆虫標本は、自然を詳しく見るための記録であると同時に、子どもと虫を見てきた時間を残す、わが家の成長記録になりました。
1歳では、大人に手を添えてもらいながら蝶へ触れ、完成した標本を一緒に見るところから始まりました。2歳になると、自分で見つけた虫を覚え、形や違いを見るようになりました。2歳11か月の今は、採集道具を自分で準備し、標本作業にも自分から参加します。
標本を作れば、忍耐力や計画性が自動的に身につくわけではありません。それでも、待つ理由を知ること、順番に意味があること、細部を見なければ作業できないことを、遊びの中で経験できます。
ツマグロヒョウモンの口吻を見て「クルクルしてる!」と気づき、後日、丸まった紙を「ちょうちょと一緒!」と結びつけたことは、その具体的な一例でした。本物を手元に残したことで、その場では見えなかった形をじっくり見て、別の発見へ持ち出せたのだと思います。
そして、標本作りは虫の死と切り離せません。標本にすることで死が正当化されるわけではありませんが、命を扱った以上、死後の体からもできる限り学び、記録として残す。感謝とともに最後まで向き合うことも、親子で標本を作る意味だと考えています。
きれいに作ることだけが目的ではありません。いつ、どこで、誰と見つけたのかを残し、何度も一緒に見返せることに価値があります。
虫取りの記憶は、その日だけなら少しずつ薄れていきます。でも標本にすれば、何年後でも「この虫を見つけた日」に戻れます。



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