子どもはなぜ金魚の世話をしないのか。
命の大切さを学ぶタイミングについて
子どもって、金魚すくいはしたがるのに、その後の世話は意外と続かなかったりします。餌をあげすぎたり、すぐ飽きたり、結局親が世話することになったり。よくあることです。でもそれは、本当に「無責任」だからなのでしょうか。私は少し違う見方をしています。
金魚すくいのあとの「あるある」
最初に言いたいのは、これはたぶん、かなり多くの家庭で起きていることだと思うということです。
お祭りで金魚すくいをすると、子どもはすごく喜びます。自分で取れたらなおさらうれしい。家に持って帰って、水槽に入れて、最初は何度ものぞき込む。
でも、そのうち餌をあげすぎたり、世話の手順が曖昧になったり、少し時間が経つと興味が薄れたりする。結局、親が水を替えて、親が餌を管理して、親のほうがよく見ている、みたいなことが起きがちです。
子どもが世話を続けにくいのは、珍しいことでも、特別に悪いことでもないと思います。
「ちゃんとしないと死んじゃう」が、まだつながっていない
私はここに、子どもの未熟さではなく、発達の途中らしさを感じます。
大人は、「餌をあげすぎたらどうなるか」「水を替えなかったらどうなるか」を想像できます。でも、子どもはそこがまだ結びついていないことが多いんですよね。
だから、世話をしないのではなくて、“自分の行動がどういう結果になるか”が、まだ自分ごととしてつながっていないのかもしれません。
このズレを「無責任」とだけ言ってしまうと、ちょっともったいない気がします。むしろここには、これから学んでいく余地があるはずです。
命の大切さは、言葉だけでは身につきにくい
「命は大事だよ」と言うことはできても、実感は体験の中でしか育ちにくいのかもしれません。
もちろん、「大事にしようね」と伝えることは必要です。でも、それだけで本当にわかるかというと、やっぱり難しい気がします。
ちゃんと見ていたつもりでも元気がなくなることがある。よかれと思って餌をあげすぎてしまうことがある。そういう小さな失敗を通して、少しずつ「あ、こうするとだめなんだ」とつながっていくこともあるんじゃないかなと思います。
それは乱暴に扱っていいという意味ではありません。むしろ、うまくできなかった経験の中で、どう大切にしたらいいかを学んでいくということです。
親が世話を肩代わりするのも、自然なこと
ここで大事なのは、親が全部やってしまうことを責めないことでもあると思います。
子どもに任せたい気持ちはあっても、生きもの相手だと、結局大人が見てしまいますよね。死なせたくないし、かわいそうだし、放っておけない。これはとても自然な感覚です。
だから、親が世話をすること自体が悪いわけではありません。むしろ、その中で「今日は一緒に餌を入れようか」「なんでこんなに元気がないんだろうね」と、子どもを少しずつ巻き込めたら十分なんじゃないかと思います。
だから私は、虫の観察がいいと思っている
ここで、前の記事ともつながるのですが、短い観察サイクルの生きものには独特の学びやすさがあります。
犬や猫のように長く一緒に暮らす生きものには、もちろん別のすばらしさがあります。でも、小さな子どもが「変化」と「結果」を短い時間の中で感じやすいという意味では、虫のような身近な生きものには独特のよさがあると思っています。
見つける、触る、逃げる、驚く、うまくいかない、またやってみる。そういう流れの中で、子どもは自然と考えるし、少しずつ力加減も覚えていきます。
長い時間をかけてしか見えない学びもあれば、短い時間で繰り返し感じられる学びもある。私はその両方があっていいと思っています。
「かわいそう」だけで終わらせないために
大切なのは、感情を否定しないことと、そこから一歩進めることだと思います。
生きものが弱ったり死んだりすると、「かわいそう」と感じるのは当然です。その気持ちは大事です。
でも、そこで終わるのではなくて、「なんでそうなったんだろう」「次はどうしたらいいかな」と一緒に考えることで、その出来事は少しずつ学びになっていきます。
命の大切さって、ただ悲しむことだけではなくて、相手の状態を見て、自分の行動を見直すことでもあるんじゃないかなと思います。
まとめ|命の大切さは、少しずつ「つながって」いく
子どもが生きものの世話をうまくできないのは、命を軽く見ているからではなく、まだ結果とのつながりを学んでいる途中だからなのだと思います。
金魚の世話をしない、飽きる、親が見ることになる。そういうことはたしかに起きます。でも、それをただ「無責任」と切ってしまうより、そこにある未熟さや途中経過を丁寧に見たほうが、子どもの学びとしては深い気がします。
- 子どもが世話を続けにくいのは珍しいことではない
- 自分の行動と結果がまだ十分につながっていないことがある
- 命の大切さは言葉だけではなく、体験の中で少しずつ育つ
- 親が伴走しながら一緒に考えるのが現実的
- 短い観察サイクルの生きものには独特の学びやすさがある
子どもが生きものにうまく関われない時期があるのは、ある意味あたりまえなのかもしれません。その中で、大人が少しだけ言葉を添えて、一緒に見て、一緒に考える。その積み重ねが、命の大切さにつながっていくのだと思います。



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