日展に行ってきました。
我が家は、毎年日展に行くようにしています。
まだ今年で3年目ですけどね。
我が子が生まれて0歳の時はベビーカーに乗せて参加しました。その時は静かにしていた我が子。
今年1歳半で参加した我が子は、いろいろな動物や月の絵を見て「がおー!」「ムーン」と言ったり、裸婦像を見て「あ!あ!」と言ったり、大変楽しい時を過ごせました。
大声を出したり迷惑になりそうと思うことは幸いありませんでした。
乳幼児も周りの雰囲気を感じ取って静かにして置けるものですよ。

我が子に芸術を触れさせることが大切だと思って、日展に行っているのですが、
改めて自省すると、自分が成長していることに気がつきました。
この経験をみなさんにもしていただきたいなと思い、記事を書いてみましたので、
よろしければ、最後までお読みください!
日展の紹介
簡単に日展の紹介。
日展とは、日本美術展覧会の略称です。
日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の五つの部門からなる総合美術展です。
全国各地から、幅広い年齢の方が応募し、その中から選ばれた作品を鑑賞することができます。
公募展の中では、日本で最も大きい規模です。
こちらが、公式ホームページです。日展
日展の歴史
1907年(明治40年)から継続し毎年開催されている歴史ある展覧会です。
1907年、国による初めての大規模な展覧会、文部省第一回美術展覧会(文展)が始まりました。その後、機関が変わったこともあって名称が変わっていますが、毎年開催されている歴史ある展覧会です。

東京国立近代美術館より引用
文展には、日本画には、横山大観や竹内栖鳳という日本を代表する画家が出展していました。
彫刻部門では荻原守衛の作品が並びました。

荻原守衛の作品は、東京国立近代美術館にたくさんあって、
ロダンみたいって思った気がする!
他にも、有名な画家で日展受賞者といえば、東山魁夷。
1947年第3回日展で「残照」が特選を受賞。
1950年第6回日展に「道」を出品しています。
このように、日展受賞作品はその後の日本芸術史に名を連ねるかもしれない作品となるわけです。
私に素人なので、芸術を見る目があるとは思えませんが、
日展で日本のトップの作品に触れるのはいい時間だと思っています。
素人の感想
芸術でもなんでも、その良さを評価できるのは、その道に通じた人でないとできません。
結果だけをみたら凄さが分からなくても、実際に同じ仕事をしている人から見たら、その凄さがわかるもの。
文の良さを知るには自分も文を書くほうがいいと谷崎潤一郎が文章読本の中で言ってました。
専門領域に携わるようになると、他の人の凄さがよくわかります。
だから、美術素人の私が正しい講評を述べることができないのは重々承知しています。
でも、大半の人は、素人!
だから、皆さんと同じ目線で気持ちを語ることはできます。
美術関係者じゃないと行きにくい?
日展は格式が高い公募展ですので、素人は参加しにくいというのが本音ではないかなと思います。

名前からして厳かな感じがある。
なんか、古そうというか・・・
美術鑑賞にいくなら、印象派とかメジャーな展覧会に参加したいというかもしれません。
それは正直ありです。
私も現代小説の価値が分からないので、時間をかけて読書をするのだから、良いとされているものを読みたいという気持ちがあります。それで、いわゆる名作を読みますからね。トルストイとか。
それに、日展に来ている人の多くは高齢者です。
若い人はあまりいません。若い人は関係者と思うくらい少ないです。
でも、作品は古いどころか最新のものです。
新しいものを見たい方はいい機会だと思います。
ただ日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の部門なので、現代アートのような奇抜なものはほとんどないですね。そういったアートがお好きな方にはいまいちな展覧会と言えるでしょう。
日本画
日本画は、入口すぐのところに展示されていました。
これって日本画?というのが素人の感想です。
でも、明治に入って日本画の捉え方は変わったようで、歴史の教科書で見るような、掛け軸や屏風で白黒みたいな日本画はほとんどありませんでした。
上塗りされて、洋画のような立体的な印象を受けます。
動物をモチーフにした絵画が毎年受賞しているような気がします。
今年は、羊とゴリラの絵が受賞していました。
微細なところまできちんと描かれており、純粋に可愛い・上手と思う絵でした。

特に私は羊の絵が可愛いなと感じました。
あえて柵が書かれていることから、人間と自然の境界を示唆している?
日本画の続きで洋画が並ぶのですが、どこから洋画になったのかわからなくなるくらい日本画と洋画の境目が曖昧になっている印象です。
洋画
洋画は日本画と比べると、親しみが持ちやすいです。
ルノワールとかの印象派のイメージが強かったり、ダリたいな精密な絵が好きだからだと思います。
こちらも風景画・人物画、静物画など多彩な作品が並びます。
それぞれいろいろな感性があります。
- 迫力があって荒々しく感じるもの
- 静謐で穏やかな気持ちになるもの
- 優しい気持ちになるもの
- 元気や活力を与えてくれるもの

行った時の気分によって好きな絵が変わったりするのですが、私は、静かに心落ち着くアヴェ・マリアが好きでした。
だいたいこういう絵には百合の花が添えられていて、処女性を寓意しているんですよね。
昔の人は、絵のものに意味を与えて、教養がある自分に酔いしれていたのだとか。
気持ちはわかります。素人にはわからない暗号を解読しているみたいで得意げになれたりしますものね。
彫刻
彫刻は、銅像から木像まで多彩でした。
人物を彫刻したものが一番多いですが、テディベアもあったりと面白いものもありました。

一本の木から丁寧に削った、髪を下ろした女性像が一番好きだなと思いました。
発想がすごいなと。
我が子は赤ちゃんが「高い高い」されている像を気に入ったようです。
その前でポーズもしてくれて大変可愛い写真が撮れました!

この時間の短い人生の中、絵は描いたことがありますが、彫刻をしたことはありません。
もしかしたら、小学校・中学校の時にしたことがあるのかもしれませんが、どうせ板をちょっと削ったくらいじゃないかなと思います。
この時期の彫刻って、「彫刻刀の使い方」を学ぶだけで終わっているような気がします。
意味あるんでしょうか?
私の子どもには、ホームセンターで大きめの木を買ってきて、それを使って彫刻をさせてみようと思います。プランが大事だから、計画を練ってから。
ほんと、子どもって夢がありますよね。
ありがたいことに日本の教育は、一応いろいろなことのスタートラインには立たせてくれる。
(立たせてくれるだけで、そこから歩かないのですけど。)
だから、スタートラインに子どもが立った時に、私も一緒に歩き出したいなと思うわけ。
彫刻教室に通いたいというわけではないけれど、数回は作品を作ってもいいんじゃないかな?と。
工芸美術
工芸と聞くと、私はすぐに伝統工芸を思い浮かべました。
出身が金沢なので、九谷焼とか加賀友禅とか、そういったものです。
こういうもののイメージは、達人しかできない。
実際に受賞しているものはそうなのでしょう。
藤を使って、丁寧に編み込まれた作品みたいに、頭では理解できるけども実際にできるのかと言われれば出来ない、と思わせるものから、
ガラス工芸のように作成したことも作成過程を見たこともないから、想像もできないものまで、さまざま。
逆にそんな素人だから、「簡単にできそう。」って思っちゃうことも・・・
彫刻と一緒で、体験が必要なのでしょうね。
ものの価値って?
機械化が進んでいる現在は、なんでもかんでも均質なものが周りに溢れています。
どれもこれも外部委託するから、自分では作れるわけがないのに、大事にしない。
汚れたから捨てよう。また、買ったらいいや。直すより新しく買った方が安いし。
これはこれで仕方がない。
産業と経済を発達させるには、新しいものを作って売らないといけないですからね。
その影響で、ものを大切にする考え方や環境保護の精神を蔑ろにしているわけです。
工芸品はオートメーション化されておらず人の手の温かみを感じる。
もし、そういったものを自分でも作ろうあるいは作っているとしたら?
ものの価値が分かって、大事にしようとなる!
大事にしていた食器が割れたら、どうするんでしょうか?
捨てるではなく、なおす、作り替える、といった手法を取れるようにするのがいいんじゃないでしょうか?
こういった考え方は、ものの価値がわからないとできない。
100円ショップで売っている工業製品ばかりに触れていたらものの価値はわからないと思うんですよね。
私がものの価値をわかっているみたいに書いていますが、全然わかっていません(でした)。
日展に行って、作品を見て、それについて思いを馳せることでようやく、ものの価値を考えようかなという段階に至るわけです。それから実際に体験したり、苦労を知ったりしてようやく価値を見出すことができると思います。スタートは工芸に触れること。これってどこかに通じたりしませんか?
書
書道。
受賞している作品としていなし作品の違いも分かりません。
そもそも読めません。
じゃあ、何を見ているのかと自問すると、書を絵として見ていると思いました。
篆書(てんしょ)(象形文字など絵に近いもの)は、カクカクしているなというくらいの印象でした。
記事にする上で改めて考えると、篆書は、絵に近いから、文字から意味を考えることをしてもいいのかなと思いましたね。
行書と草書。読めません。
時間がある時は、なんて書いてあるのか読んでみようとした時期もありましたが、作品が多くなるとそれもしない。
昔に文豪の字の展覧会を見に行った時は、これが泉鏡花の字か!みたいな感想を抱いた気がするのですが、そういったこともない。
書を楽しむには?
やっぱり書を楽しむには、書をしないといけないんでしょうね。
数年前に姪っ子の書き初めを一緒にしたことがあって、楽しかったなと思い出しました。
基本がわかっていないので、ネットの文字を真似て書いただけですが、それでも素人目には上手に欠けたなと思いました。

習字のセットも小学校以来使ってない。
結局、書き初めの時しか習字セットを使った記憶はないし、宿題のために使用するものでした。
よく考えると、めちゃくちゃもったいないことですね。
もし、学校の先生が書道に通じているなら、いっぱい教えてもらうといいんじゃないでしょうか。
臨書
書道の初めは、臨書と呼ばれるもので、お手本の通りに書くことらしいです。
自分のオリジナリティを出さずに真似る。それができるようになったら、意臨として書いた人の気持ちになって書く、そして背臨として、お手本を見ずに同じようにお手本の通りに書く。
これってすごいことですよね。
実は、仕事でも応用される書道の力
臨書から背臨までの行程ってめんどくさくないですか?
私はできなかったと思います。臨書が完璧でない段階で背臨をしようとする。それも実際は背臨をしようとしていなくてオリジナルを作ろうとする。だから、上達しません。この行程には忍耐強さが必要です。繰り返し繰り返し行うことが大事。なんでそんな無駄なことするの?という感情が邪魔するんですよね。
この力、ほとんど全ての行為でも同じですよね?
スポーツ
私はサッカーをしていましたが、インサイドキックとかインフロントキックとかを何度も練習しました。私はインフロントキックが下手でしたが、臨書ができていなかったんじゃないかなと今になって思います。上手な人のやり方を真似してなかったんじゃないかなって。
仕事を始めたらなおさら書道の力が大事だと気づきました。
医者として仕事をすると、なおさら必要な力です。独自性を出さないこと。
医療において、初めから独自性を出す人はいません。先輩や教授の後を追って、同じように診察できるか同じように推論できるかを絶えず鍛えていきます。特に診察は同じように診察ができないと後の診断に響きますので、「これが心雑音か」「これが病的反射か」と同じ手技を学んでいきます。手技も同じ。先輩の手伝いをしながらやり方を学ぶ。いないところで誦じられるようになってようやく手技をさせてくれます。それまでにすぐに自分でできるようになる人もいれば、いつになってもできない人もいます。忍耐力・観察力・模倣力、いろいろな力が必要です。
記事を書いていたら、書道を習わせたく(自分も習いたく)なってきましたね。
まぁ、大人は自分の領域で、上の力を育てる方が大事なんですけどね。
苦労は小さい時にすべきだと思います。
苦労と思わないかもしれません。何度も同じことを繰り返す、その力はいつになっても大事です。
まとめ
日展に行って、芸術の大切さを学びました。
普段の生活では忘れてしまいそうな学ぶ姿勢も思い出させてくれたような気がします。
やっぱりそれほど興味がないと思っている環境に自分を置いてみて、
自省することは、人生経験を豊かにしてくれると感じました。
私は、子どもを通じて自分も成長させたいと思っています。
子どもの成長は自分の成長に通ずる。子どもを特急券や免罪符として、自分も学ぶ機会に変えてしまう。
そんな力が子どもにはあります。
我が子の将来を実りあるものにするには、自分の将来も実りあるものにする必要がありますよね。
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