幼児教育は、知識を増やすことではない。
世界を理解する力を育てること。
ひらがな、数字、英語、ワーク、絵本。幼児期にできることはたくさんあります。 だからこそ考えたいのが、限られた親子の時間を、何に使うのかということです。
文字や数字を軽視するのではなく、まずは観察し、比べ、問い、考え、試す力を大切にする。
その上で、文字や数字を世界をさらに広げるための道具としてつなげたい。 ワークは日常の代わりではなく、日常だけでは不足しやすい経験を補うために使いたいと考えています。
朝の短い時間に、何を選ぶか
朝、家を出るまでに20分だけ時間があるとします。
その時間に、子どもとワークをすることもできます。 ひらがなを一つ覚えたり、迷路を何枚か進めたり、数字を順番につないだりすることもできます。
でも、私なら子どもと散歩に出たいと思います。
「今日の雲は、どうして細長いんだろう」
昨日の雲との違いを見つけ、形や風との関係を考えます。
「雨が降っていないのに、どうして水玉があるの?」
触って冷たさを感じ、ほかの葉や日なたとの違いを探します。
「どうしてこの辺には蚊が多いんだろう」
草、水、日陰など、場所による違いから理由を予想します。
「どうしてこのお店は朝から開いているの?」
誰が利用するのか、地域でどんな役割を持つのかを考えます。
その散歩で、ひらがなを一文字覚えられるとは限りません。 迷路を十回解いたときのように、終わったページが目に見えて残るわけでもありません。
それでも、子どもは何も学んでいないわけではありません。
これらは、雲だけに使う力でも、水滴だけに使う力でもありません。 虫、植物、料理、人の暮らし、絵本、文字、数字など、さまざまな対象へ向かうときに使える力です。
私は、幼児期の限られた時間では、特定の答えを一つ増やすこと以上に、 新しい対象へ向かったときに、自分で見て考えられる力を大切にしたいと思っています。
散歩では、複数の学びが同時に動いている
散歩の特徴は、最初から問題と正解が決められていないことです。
葉の上の水滴を見つけるかどうかも、どこに疑問を持つかも、子どもによって違います。 一つの水滴から、冷たさ、形、数、天気、時間、場所の違いへと話が広がることもあります。
そのとき子どもは、自然の知識だけを学んでいるのではありません。 見る、触る、比べる、思い出す、予想する、人の話を聞く、自分の考えを伝えるといった働きを同時に使っています。
文部科学省の幼稚園教育要領では、幼児の自発的な遊びを通して、健康、人間関係、環境、言葉、表現といった領域を相互に関連させながら、総合的に指導することが重視されています。 散歩や遊びの中で複数の力が同時に働くという見方は、この考え方とも重なります。 [1][2]
ただし、これは「散歩に行けば、自動的に思考力が伸びる」という意味ではありません。
同じ道を歩いても、急いで通り過ぎる場合と、子どもの発見に足を止めて話す場合では、経験の中身が変わります。 自然が教育してくれるというより、子どもが何に気づき、大人がどう応答し、その後どう確かめるかが重要なのだと思います。
子どもの学びを、一本の木として考える
子どもの成長を、一本の大きな木として考えてみます。
「根・幹・枝葉」は発達を診断する科学的分類ではなく、家庭で学びの優先順位を考えるための比喩です。根っこ|毎日の経験と関係
- 親の声かけと会話
- 安心できる関係
- 散歩、外遊び、虫取り
- 絵本、歌、お話
- 料理、お手伝い
- おままごとや友達との遊び
幹|世界へ向かう力
- 観察する、違いに気づく
- 比べる、分類する
- 疑問を持ち、予想する
- 試し、間違いを修正する
- 集中し、少し粘る
- 考えや気持ちを表現する
枝葉|世界を広げる道具
- 言葉、文字、読書
- 数量、数字、数学
- 自然、科学、社会
- 絵、音楽、工作
- 物語、文化、他者の考え
- 自分で調べ、学ぶ力
根っこにあるのは、子どもが実際に触れる生活と、周囲の大人や子どもとの関係です。 そこで得た経験を材料にして、観察し、比較し、問い、試すという幹が少しずつ太くなっていきます。
その幹から、文字、数字、科学、物語などの枝が伸びます。 文字を読めるようになれば、自分が直接経験していない世界にも出会えます。 数字を使えるようになれば、感覚的な「多い」「少ない」を、より正確に捉えられます。
枝葉から得た知識は、次の観察を細かくし、再び幹を太くします。成長は一方向ではなく循環します。
例えば、図鑑で昆虫の触角を知れば、次の散歩では以前より細かく虫を見られるかもしれません。 「露」という言葉を知れば、次の朝には葉の水滴を探すかもしれません。
つまり、枝葉は幹から伸びるだけではありません。 文字や数字、絵本や知識が、観察や思考を深めることもあるのです。
だから、枝葉を切って幹だけを育てたいわけではありません。 枝葉だけを急いで増やすのではなく、それらを長く支えられる根と幹にも、十分な時間を使いたいということです。
この考え方は、遊びを礼賛するだけの話ではない
「日常や遊びを大切にする」と書くと、ワークや直接的な学習を否定しているように見えるかもしれません。
しかし、研究や公的資料から見えるのは、「遊びなら何でもよい」「大人は教えなくてよい」という単純な結論ではありません。
子どもの働きかけに大人が応答する
子どもが見たり、指さしたり、声を出したりしたときに、大人が注意を向けて応答する往復的なやり取りは、初期の言語や社会性を支える環境になります。 [3]
遊びは複数の発達領域が動く活動
遊びは、身体、言語、認知、社会情緒、自己調整などが関わる発達上重要な活動として位置づけられています。 [5]
大人の支援がある遊びには可能性と限界がある
ガイドされた遊びは、一部の初期数学、形、空間語彙などで直接指導よりよい結果が見られましたが、すべての領域で優れていたわけではありません。 [8]
虫をよく観察できるからといって、何も教えずにひらがなが読めるようになるわけではありません。 ブロックで試行錯誤できるからといって、自然に数の仕組みをすべて理解するわけでもありません。
幹となる力と、文字・数字などの領域固有の学習は、どちらか一方を選ぶものではありません。 広く使える見方や姿勢と、対象についての具体的な知識をつなげることが大切なのだと思います。
文字や数字は、世界を圧縮して扱うための道具
文字や数字は記号です。
「ま」という形そのものに、特別な意味が備わっているわけではありません。 「5」という形そのものに、五つの物が含まれているわけでもありません。
社会の中で、音、言葉、量、順序などと結びつけて使うことで、記号は大きな力を持ちます。
文字が読めるようになれば、親に読んでもらわなくても本を読み、自分で調べられるようになります。 実際には会ったことのない人の考えや、行ったことのない国、過去の出来事にも触れられます。 共有読書が言語、認知、社会情緒的な発達を支えることも、米国小児科学会の技術報告で整理されています。 [6]
数字を使えるようになれば、「たくさんある」だけでなく、「三つある」「一つ多い」「同じ数に分けられる」と、量や関係を正確に表せます。 幼児期の数学も、数字の暗唱だけではなく、数量、操作、形、空間、測定、規則性などを含む領域です。 [7]
| 領域 | 記号の前にあるもの | 記号によって広がること |
|---|---|---|
| 文字 | 実物、経験、語彙、音、意味、会話 | 読書、記録、他者との伝達、一人で調べること |
| 数字 | 量、大小、多少、順序、分ける、合わせる、規則性 | 数量の正確な表現、計算、測定、変化や関係の記述 |
スーパーで「牛乳」をどう教えるか
スーパーでいつもの牛乳を見て、子どもが「牛乳」と分かったとしても、必ずしも「牛乳」という文字を読んでいるわけではありません。
パッケージの色、絵、形、売り場、いつも買う商品という情報をまとめて判断している可能性があります。
その場で、
「牛乳って書いてあるね」
「ここにも同じ文字があるね」
と伝えることには意味があると思います。 実物と名前と文字を、同じ場面で結びつけられるからです。
ただし、毎回「ぎ・ゅ・う・に・ゅ・う」と読ませたり、覚えたかを確認したりする必要はありません。 まずは、物には名前があり、その名前を文字でも表せると知る経験で十分なこともあります。
日常で使われている表記なら、「ばなな」へ直さず「バナナ」、「こまつな」へ直さず「小松菜」と出会わせてもよいと思います。 その時点で全部を読める必要はありません。
一方で、文字の形を一つずつ見分け、音と対応させる経験は、生活だけでは偏りやすい部分です。 子どもが興味を持ったときには、絵本、文字探し、カルタ、ワークなどを使って補う価値があります。
読めることと、書けることは別に考える
ひらがなを読めるのに、書けないことがあります。
これは、文字を理解していないとは限りません。 書くためには、文字の形を覚えるだけでなく、線を始める位置、曲がる方向、止める場所を捉え、鉛筆を操作して形を再現する必要があります。
そのため、「読めるのに書けないから、書字ワークを増やす」と単純に決めるのではなく、
- 文字を書きたい気持ちがあるか
- 丸、直線、曲線などをまねられるか
- 見本を見ながら形を写せるか
- 鉛筆以外なら形を作れるか
と分けて見る必要があります。
自分の名前、好きな虫、買い物メモなど、本人にとって意味のある文字を一つ書いてみる。 指や棒で大きく形を描く。 積み木やひもで文字の形を作る。
書字だけを反復する前に、こうした経験を挟む方法もあります。
ワークは、日常で不足しやすいものを補うために使いたい
私はワークを否定していません。
むしろ、日常にはない優れた特徴があります。
日常では、子どもが文字を見る機会はあっても、一文字ずつ音と対応させる機会は十分ではないかもしれません。
数を使う場面はあっても、形の回転、規則性、左右の位置関係などは、家庭生活だけでは偏ることがあります。
そうした不足を見つけ、少し整理された形で経験できるのが、ワークのよさです。
わが家では、数字の点つなぎをしていて、子どもが「7に行っちゃったから6にした」と、自分で間違いに気づいて直すことがありました。
ここから見えるのは、数字を読めるかだけではありません。 数の順序、次の数字を探す力、線を動かす力、現在地を覚える力、自分の誤りを確認する力が同時に使われています。
反対に、複雑なページで間違えたとしても、「数字が分からない」とは限りません。 絵の線が多い、点が離れている、数字を広い範囲から探す必要があるなど、別の難しさが重なっている可能性があります。
ワークは、子どもの能力を一つの点数で測るものではありません。
何ができたかだけでなく、どの段階で迷い、どんな助けがあると進めるのかを見る道具として使うと、選び方が変わります。
その子に今必要な学びは、どう見つけるのか
できない課題を見つけたからといって、すぐにそれを練習すればよいとは限りません。
できない理由には、概念を知らない、問題文が分からない、出力方法が難しい、課題が複雑すぎる、興味を感じない、まだ発達的に早いなど、さまざまな可能性があります。
私は、次の順番で考えるのがよいと思っています。
- 本人は、何に興味を持っているか文字を探している、数えたがる、形を組み立てるなど、今伸びようとしている方向を見ます。
- 日常ですでに、どのくらい経験しているか料理で数量を使う、散歩で比べる、絵本で言葉に出会うなど、ワーク外の経験も含めます。
- 「できない」を細かく分解する文字を読めないのか、音と対応できないのか、書く動作だけが難しいのかを分けます。
- 少しの助けで進めるか短いヒントや見本があれば自分で進める課題は、今の発達のすぐ近くにある可能性があります。
- 学んだことを日常へ戻せるかワークで覚えた文字を看板で探す、数字を配膳で使うなど、別の場面と結びつけます。
出版社が違っても、同じ種類のワークが要求する基本的な力に大差がないことはあります。
選ぶときに重要なのは、どの出版社が一番優れているかよりも、
- 今の子どもが何に興味を持っているか
- 日常で何が十分に経験できているか
- どの力が不足しているように見えるか
- 課題の難しさが一段階ずつ上がるか
- 本人が少し考えれば進められるか
という対応関係です。
限られた親子時間に、私が選びたいこと
朝に少ししか時間がないなら、私は子どもと外へ出たいと思います。
子どもが足を止めたものを一緒に見て、
「本当だね」
「昨日と違うね」
「どうしてだろう」
「ほかにもあるかな」
と考えたい。
夜に絵本を読む時間が少なくなったとしても、子どもがおままごとをしたがっているなら、一緒にその世界へ入りたいと思います。
経験した生活を再構成する
役割を分け、物を見立て、会話をし、出来事の順序や物語を作ります。
全体を予想して、違えば変える
形や色を比べ、向きを変え、合わなければ別の方法を試します。
頭の中のイメージを形にする
崩れた理由を考え、置き方を変え、見立てや物語を広げます。
経験していない世界へ出会う
言葉、絵、物語、他者の気持ちを受け取り、日常の経験と結びつけます。
絵本は大切です。 ただし、「毎日何冊読む」という目標のために、子どもが今まさに始めようとしている遊びを毎回切り上げる必要はないと思っています。
おままごとをしたから、読書の機会を失ったわけではありません。 ワークをしなかったから、学びのない時間になったわけでもありません。
何を優先するかは、その日の子どもの興味、家庭の生活、すでに経験できていることによって変わります。
私が選びたいのは、決められた課題を多く終わらせることより、 子どもが目の前の世界へ働きかけ、自分で発見し、誰かと考えを交わす時間です。
知識と「世界を理解する力」は、対立しない
この記事の冒頭で、
「幼児教育は、知識を増やすことではない」
と書きました。
より正確に言えば、知識を増やすことだけを、幼児教育の最上位の目的にしたくないという意味です。
知識があるからこそ見えるものがあります。 虫の名前を知れば、似た虫との違いを探せます。 文字を読めれば、自分で本を開けます。 数字を使えれば、量や変化を正確に確かめられます。
一方で、知識をどのように使うかを支えるのは、観察し、比べ、問い、考え、試し、人とやり取りする力です。
だから、文字や数字を遠ざける必要はありません。 子どもが興味を示したときには、一緒に読み、数え、書けばよい。
ただ、枝葉が増えたことだけを成長の基準にはしたくありません。
幼児教育は、知識を増やすことではない。
世界を理解する力を育てることだ。
安心できる関係と日々の経験が根を作る。
観察し、比較し、問い、考え、試す経験が幹を太くする。
文字や数字、科学や物語が枝葉となり、子どもをさらに大きな世界へつないでいく。
根と幹が育ち、枝葉が世界と触れ合い、そこから得たものが再び幹を太くする。
私は、その循環全体を幼児期の学びとして大切にしたいと思います。
この記事は、「散歩をすれば学力が上がる」「ワークより遊びの方が優れている」といった因果関係を示すものではありません。 根・幹・枝葉の図も、発達を診断する尺度ではありません。 研究や公的資料を参照しながら、限られた家庭時間をどう使うかを考えた、わが家の教育方針です。
参考にした公的資料・研究
- 文部科学省 「幼稚園教育要領」
- 文部科学省 「幼稚園教育要領解説」
- Harvard University Center on the Developing Child “Serve and Return”
- Harvard University Center on the Developing Child “A Guide to Executive Function”
- American Academy of Pediatrics “The Power of Play”
- American Academy of Pediatrics “Literacy Promotion: An Essential Component of Primary Care Pediatric Practice”
- National Research Council “Mathematics Learning in Early Childhood”
- Skene K, et al. “Can guidance during play enhance children’s learning and development in educational contexts?”
- National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine “How People Learn II”


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